1973年、法律がまだない時代に始まったテンプスタッフ。労働者派遣法の歴史と二人三脚で歩んだ、制度ビジネスの人材版フロー。
海外で「テンポラリーワーク(臨時職)」という働き方に出会い、帰国後にテンプスタッフを創業。当時の日本に人材派遣の法制度はなく、事務処理の請負という形で事業を開拓した。結婚・出産で職場を離れた女性に働く選択肢を作る——事業の核は最初から雇用の社会課題だった。
対象業務の限定列挙(1986)→原則自由化(1999)→製造業解禁(2004)。法改正の一つひとつが、そのまま新市場の開放だった。ニチイにとっての介護保険と同じく、パーソルの成長曲線は法律の年表と重なっている。
リーマンショックで製造業派遣の雇止めが社会問題化(年越し派遣村)。業界は「雇用の調整弁」と批判を浴び、日雇い派遣の原則禁止(2012)、3年ルール(2015)など規制強化に転じた。規制緩和で伸びた産業は、規制強化でも試される。
転職サービスdodaを持つインテリジェンスを買収し、派遣+転職+BPO(業務受託)の総合体制へ。2016年、社名をパーソル(Person+Solution)に統一し「はたらいて、笑おう。」を掲げた。雇用形態の垣根を越えた「はたらく」全域の会社への再定義。
単位:兆円(3月期・概数)。買収・統合で階段状に拡大。棒の数字=売上収益、「利」=営業利益。
※数値は直近または記載の決算期に基づく概数。最新の情報は各社の開示資料をご確認ください。
人材派遣の歴史は、そのまま日本の雇用政策史。社労士が最も解像度高く語れる領域。
リクルートが「マッチング情報」で稼ぐのに対し、パーソルは自らが雇用主となってスタッフを抱える。同じ人材業界でも、自ら雇用主になるかどうかでリスクも利益率も別物になる。
世界大手はグローバル標準の効率経営、日本勢は職場への深い入り込みと定着支援で対抗。人材業は最も「労働文化」が競争力に直結する産業でもある。
創業時、労働者供給事業は原則違法の時代。テンプスタッフは「業務請負」の形式を取りながら、実質的にテンポラリーワークの受け皿を作った。制度が追いつく前に社会の必要が先にあった——1986年の派遣法は、いわば現実の追認だった。
派遣村の映像は、雇用責任の所在を社会に突きつけた。以後、業界は無期雇用派遣・教育訓練・キャリア支援へ大きく舵を切る。批判が業界の付加価値を定義し直したという意味で、派遣史最大の転換点。
制度がない市場で形式を工夫して始めた者が、制度化の日に最大手になっている。ニチイと同じ型。
緩和で伸び、強化で試される。法改正を読む力がそのまま経営力になる業界。
利益率数%が宿命なら、勝負は稼働・定着・教育。人への投資が唯一の差別化になる。
派遣切り批判が、教育・キャリア支援という業界の新しい存在意義を作った。
買収による転職・BPOへの多角化は、制度リスクの分散でもあった。