仕様書 兼 教材
生成AIに大きな仕事を任せるとき、1体に通しで頼むか、複数体に分けて並べるか。この文書は、その判断基準と、分けると決めた場合の指示書の書き方をまとめたものです。
1. 1つの仕事を3つ以上の担当範囲に割り、生成AIを複数体で同時に走らせる進め方。
2. 人間は実作業をせず、分割・指示・検証・統合の判断だけを行う。この立場を「監督役」と呼ぶ。
3. 目的は速度ではなく、1体では最後まで品質を保てない量を扱えるようにすること。
A 1体に通しで頼む
B この型
2つの図の違いは3点です。①作業する主体が1つか複数か ②依頼を受けた側が作業するか、作業せず照合に回るか ③成果物が誰にも照合されずに出てくるか、照合結果が戻ってくるか。このうち最も重要なのは③です。①と②だけを真似て③を欠くと、確認されない成果物が担当数の分だけ増えます。
この型は、扱う仕事が一定の大きさを超えたときにだけ有効です。小さな仕事に適用すると、分割と統合の手間が実作業を上回ります。採用するかどうかの判定は第4章で行います。
この型の中身は3要素だけです。①仕様を1ファイルに固定する ②土台となる担当を先に完了させる ③完了報告ではなく成果物を検証する。以降の章はすべて、この3要素の運用方法です。①は②に含まれます。仕様書がまだ無い案件では、それを作ることが土台担当の最初の仕事になります(第3章)。
分割しない場合に何が起きるかから説明します。
生成AIは、1回のやりとりで扱える情報量に上限があります。長い作業を1体に通しで任せると、後半になるほど前半の指示が薄まり、次の3つが起きます。
冒頭で指定した書式や禁止事項が、後半で守られなくなります。
例:全10章の規程を1体で改定させると、第2章で定義した用語が、第8章あたりで別の語に置き換わり始める。指示違反ではなく、指示が届いていない状態です。
前半で決めた方針と矛盾する判断を後半で下し、しかも本人はその矛盾を認識しません。全体を通して読み直す機会がないためです。
作業量が多いほど、AIは「全項目を完了しました」という形式の報告を出しやすくなります。実際には未着手の項目があっても、報告文だけは整います。これが最も危険で、分割よりも先に対策すべき点です(第7章)。
分割は、この3つを同時に抑えます。1担当あたりの範囲が小さくなるので指示が最後まで届き、範囲が明示されるので矛盾が起きにくく、成果物が小さいので検証できます。
この文書で使う語を、初出順に定義します。
| 用語 | 定義 |
|---|---|
| 監督役 | 分割・指示・検証・統合の判断だけを行う立場。実作業をしない。人間が務めることも、AIに務めさせることもある。 |
| 担当 | 分割された1つの作業範囲、およびそれを実行するAI。「担当が5つ」は範囲が5つに割れていることを指す。 |
| 唯一の仕様書 | 要件を書いた1つのファイル。全担当がこれだけを見る。指示書に要件を直接書かず、必ずファイルを指す。着手時点で存在していなくてよい。その場合は土台担当が最初に作る。 |
| 土台担当 (foundation) | 他の担当が参照する共通部分を作る担当。唯一の仕様書、用語定義、書式、データ構造など。これだけは他より先に完了させる。仕様書が既にある案件では、その読み込みと完了条件の展開までを担当する。 |
| 依存順 | 担当の間の先後関係。土台担当 → 並列担当 → 統合、の順に進める。 |
| 担当境界 | 各担当が触ってよい範囲。ファイル名または章番号で列挙する。「〜のあたり」という書き方をしない。 |
| 完了条件 | その担当が終わったと判断するための条件。仕様書に書かれているものを、着手前に箇条書きへ展開する。 |
| 検証手段 | 完了報告が正しいかを、監督役が照合するための手段。第7章で設計する。 |
| 統合 | 各担当の成果物を1つにまとめる作業。担当と別に、統合専用の担当を立てる。 |
| 人間ゲート | AIに判断させず、必ず人が確認する地点。最低3か所置く(第8章)。 |
| ロールバック | 変更を元に戻すこと。戻せない変更があるなら、着手前に手順を用意する。 |
| ワークツリー (worktree) | ソフトウェア開発で、同じ資料一式から作業用フォルダを複数生やす仕組み。担当ごとにフォルダが独立し、互いのファイルを踏まない。コード以外の案件では、フォルダを分ける、あるいはファイルを分ける、で置き換えて構わない。 |
次の4問すべてが「はい」のときだけ、この型を使います。1つでも「いいえ」があれば使いません。
判定は上から順に行い、「いいえ」が出た時点でそこで止めます。残りの問いを検討する必要はありません。
迷ったときは問2で判定してください。担当境界を紙に書き出せない案件は、ほぼ確実にまだ分割段階に達していません。
実務では、着手時点で仕様書が存在しないほうが普通です。依頼は「全体を見直したい」「これをまとめてほしい」という形で来ます。この状態でも4問の判定はできます。問2が問うているのは仕様書の有無ではなく、担当境界を列挙できるかどうかだからです。
手元の材料から章立てや対象の一覧が書き出せるなら、問2は「はい」です。仕様書はその後、土台担当が作ります。
書き出せない場合は2つに分かれます。材料が足りないだけなら、材料を揃えてから再判定します。何を作るか自体が決まっていないなら、第6章①に該当し、この型は使いません。この2つを取り違えないでください。
判定を飛ばして「まず仕様書を作らせる」から始めないでください。仕様書の作成は土台担当の仕事であり、土台担当を立てるかどうかは、この型を採用すると決めた後の話です。順序を逆にすると、使わないと判断すべき案件に仕様書を作る手間だけが発生します。
分割単位と検証手段まで決まって初めて「使える」と判断します。表の右2列が空欄になる業務は、適用度が高くても着手できません。
| 度 | 業務の種類 | 分割単位 | 土台担当が作るもの | 検証手段 |
|---|---|---|---|---|
| ◎ | 規程・マニュアルの全面改定 | 章 | 用語定義表、準拠法令の版 | 条番号の通し照合、参照切れ検査 |
| ◎ | 研修教材のシリーズ制作 | 1本=1担当 | 共通書式、用語統一表 | 書式の一致確認、目次整合、リンク検査 |
| ◎ | 定型書式の量産 | カテゴリ | 共通様式、記載ルール | 必須項目チェックリスト、根拠の有無 |
| ◎ | 月次の定型データ処理 | 月または部門 | 分類・対応表 | 合計値の一致、前月比、突合 |
| ◎ | 多数の対象を同一書式で分析 | 対象を5件ずつ | 分析書式、図表の規格 | 数値と出典の突合、書式崩れ確認 |
| ◎ | システムの機能追加 | 機能領域 | データ構造、共通処理 | 自動テスト、型検査、規約検査 |
| ○ | スライド資料の制作 | 章ブロック | マスター書式、話法のトーン | 通し確認、体裁の統一検査 |
| △ | 動画台本、記事1本 | 分割すると論理が切れる。第6章③へ。 | ||
| ✕ | 新規事業・新サービスの構想 | 分割対象がまだ存在しない。第6章①へ。 | ||
読み方:◎は、この型を使うと1体で進めるより成果物の品質が上がる業務。○は、品質は同等だが所要時間が短くなる業務。△と✕は、使うと悪化する業務です。
この章は、使う判断と同じだけ重要です。誤って適用したときに何が起きるかまで書いています。
該当する状況:新サービスの構想、業務フローの見直し方針、提案内容の骨格づくり。要件を書いた仕様書がまだ存在しない段階すべて。
誤って適用すると:間違った方向へ、担当数の分だけ速く進みます。5担当なら5倍の量の作り直しが発生します。しかも各担当の成果物は互いに整合しているため、統合時点では破綻が見えません。方向違いに気づくのは、全部できあがってからです。
代替手段:1対1の対話で進めます。案を出させ、否定し、また出させる往復を繰り返す。この段階では、AIが前の発言を覚えていることのほうが価値を持ちます。仕様書に落とせる状態になってから、改めて第4章の判定に戻ってください。
該当する状況:書式1本の作成、1社分の分析、既存資料の一部修正。
誤って適用すると:分割の設計、指示文の作成、各担当への説明、成果物の検証、統合、再検証。この一連が実作業を上回ります。3時間の仕事が5時間になります。加えて、統合時のつなぎ目の調整という、分割しなければ存在しなかった作業が新たに生まれます。
代替手段:1体に順番に頼みます。ただし第7章の検証手段だけは、規模に関係なく用意してください。分割しない場合でも「できたと報告する」問題は消えません。
該当する状況:提案書、動画台本、記事、講演原稿。前半の伏線が後半で回収される構造を持つもの全般。
誤って適用すると:各章は単体で読める品質に仕上がりますが、通して読むと論理がつながりません。第3章が第1章の前提を使っておらず、第5章が第2章と同じ話を別の言い方で繰り返す。これは統合担当では直せません。分割の設計そのものが誤っているためです。
代替手段:章ごとに順次進め、毎回それまでの全章を渡します。並列ではなく直列です。時間はかかりますが、この種の成果物では省けません。ただし調査・データ収集の部分だけは切り出して並列化できます。台本本体は直列、素材集めは並列、という組み合わせが現実的です。
3ケースに共通する兆候:担当境界を書き出そうとしたときに、「この部分はどちらの担当か決められない」箇所が2つ以上出てくる。このときは分割設計を直すのではなく、この型の採用自体を見送ってください。
この型の成否は、ほぼこの章で決まります。
ソフトウェア開発には、型検査や自動テストという機械的な検証手段があります。それ以外の業務には、標準では何もありません。そのため、検証手段を自分で用意しないかぎり、監督役は完了報告を読むことしかできなくなります。
| 手段 | やること | 検出できる問題 |
|---|---|---|
| 用語突合 | 土台担当が作った用語統一表と、各成果物の表記を照合させ、ずれの一覧を提出させる | 担当間の表記ゆれ |
| 参照実在確認 | 記載した条番号、法令名、施行日、URL、金額について、確認できた出典を1件ずつ併記させる | もっともらしい捏造 |
| 書式準拠確認 | 共通書式の項目を列挙し、成果物ごとに有無を◯×で提出させる | 項目の欠落 |
| 範囲外変更の確認 | 触ったファイル・章を全件列挙させ、担当境界と突き合わせる | 他担当の成果物の上書き |
| 合計値の一致 | 数値を扱う案件で、分割前後の合計が一致することを示させる | 件数の取りこぼし |
法令や数値を扱う案件では、次の一文を全担当への指示に必ず入れてください。
条文番号、法令名、施行日、金額、統計の数値は推測で記載しないこと。出典を確認できない項目は空欄のまま「要確認」と明示して報告すること。
並列作業で最も危険なのが、この種の捏造です。複数の担当が同時にもっともらしい番号を書くと、統合したときに全体の整合が取れてしまい、かえって発見できなくなります。1体で作業していれば違和感で気づけたものが、量に紛れて通過します。
監督役が見るのは成果物ではなく結果表です。この向きを逆にすると、担当数が増えるほど監督役が処理しきれなくなります。
監督役が全成果物を1件ずつ点検するのは現実的ではありません。上表の手段は、いずれも担当自身に照合させ、その結果表を提出させる形にしてください。監督役が見るのは、成果物そのものではなく照合結果表です。ずれが0件と報告された箇所を数か所だけ抜き取って確認すれば足ります。
A・Bは案件が変わっても書き換えません。書き換えるのはCだけです。
指示書を毎回ゼロから書くと、前回入れた安全条項が抜け落ちます。3ブロックに分けて保管し、Cだけを差し替えてください。
書き換えるのはCの4項目だけです。AとBに手を入れたくなった場合は、その内容が本当にこの案件固有かを確認してください。固有ならCへ書きます。
Cの④が、毎回いちばん重要で、いちばん書き忘れます。「この案件で一度でも起きたら取り返しがつかないこと」を3つ書き出す、と手順として決めておいてください。思いつかない場合は、まだ案件の理解が足りていない可能性があります。
全項目が埋まってから指示を出します。埋まらない項目がある状態で始めないでください。
兆候の列を先に読んでください。問題が起きてからでは、統合済みの成果物から切り分けるのが困難になります。
| 失敗 | 早い段階で現れる兆候 | 対処 |
|---|---|---|
| 全員が完了と報告したのに、通して見ると成立していない | 照合結果表がなく、報告が文章だけで届いている | 第7章の検証手段を後から追加し、全担当に照合をやり直させる |
| 担当ごとに用語や書式がずれている | 土台担当の成果物を確定させないまま、他担当を開始した | 土台を確定させ、全担当に用語突合をやり直させる。統合前なら傷は浅い |
| 条番号や数値が捏造されている | 「要確認」と書かれた箇所が1件もない | 出典併記を必須にして再提出させる。全件が確認済みという報告自体を疑う |
| 同じ箇所を複数の担当が別々に書き換えた | 担当境界に「〜のあたり」「関連部分」という表現が残っていた | 境界を引き直し、重複箇所は片方の担当に一本化して再作業させる |
| 監督役が自分で手を出し始める | 「これくらいなら直したほうが早い」と考えた時点 | 直さず、差し戻す。監督役が作業を始めると、以降の検証が自己点検になり機能しなくなる |
| 統合時に大量の衝突が出る | 担当数が6つ以上、または境界の列挙に30分以上かかった | 担当を減らして再設計する。衝突を機械的に解消せず、範囲を理解している担当に解消させる |
| 土台担当が終わらず、他の担当が待ち続ける | 土台担当に期限を設けていない。または仕様書の作成範囲が案件全体に及んでいる | 土台担当が作るのは、他担当が参照する部分だけ。各担当の中身まで書かせない。期限を超えたら、担当数を減らすか、この型の採用自体を見直す |
| 既存の作業が消えた | 作業前に現状の控えを取っていない | 予防のみ。着手前に必ず控えを取る。この失敗は事後に回復できない |
最も見落とされる兆候は、5行目の「これくらいなら直したほうが早い」です。監督役が1か所でも自分で直すと、その箇所は誰にも検証されないまま最終成果物に入ります。直したくなったら、それは指示が不足しているという信号です。