売上が横ばいでも、定期昇給と前年踏襲の賞与で人件費は毎年静かに積み上がります。これが固定費の爆発です。対策は単純で、昇給・賞与の原資を業績に連動させ、悪化した年は自動で縮小する“安全弁”を制度に組み込むこと。本記事では、その仕組みと、賞与原資の決め方、労働法上の留意点までをモデル試算とあわせて解説します。
「今年は厳しいから昇給は控えめに」と思っていても、定期昇給と前年並みの賞与を続けるだけで、人件費は年々静かに増えていきます。ここに気づきにくいのが固定費化の怖さです。
多くの中小企業で、昇給は「制度」というより言い値になっています。社長の感覚や周りの相場、辞めてほしくないという気持ちで、毎年なんとなく数千円ずつ上げていく。一人あたりは小さくても、これが全員分・毎年・複利で効いてきます。そして一度上げた基本給は、業績が悪くなったからといって簡単には下げられません(後述する不利益変更の問題があります)。つまり昇給は、その瞬間に将来にわたる固定費を確定させているのです。
賞与も同じです。「前年が3か月だったから今年も3か月」という前年踏襲が続くと、賞与は本来あるはずの業績の調整弁としての役割を失い、事実上の固定費になります。売上が伸びていれば問題は表面化しませんが、横ばい・微減に転じた瞬間、利益を人件費が圧迫し始めます。
抽象論ではイメージしづらいので、簡単なモデル試算で「売上が横ばいなのに人件費だけ膨らむ」様子を確認します。あくまで構造を理解するための例であり、実額を保証するものではありません。
従業員30名、年間人件費の総額を1.5億円とする会社を想定します。定期昇給だけで人件費総額が毎年2%ずつ増えていくと仮定します(賞与・諸手当・社会保険料の会社負担を含むベースアップ相当)。一方で売上は横ばいとします。下の表は、その場合の人件費総額の推移を表したモデル試算です。
| 年 | 売上(横ばい・モデル) | 人件費総額(+2%/年・モデル) | 初年度比の増加額 |
|---|---|---|---|
| 1年目 | 10.0億円 | 1.50億円 | ― |
| 2年目 | 10.0億円 | 約1.53億円 | 約+300万円 |
| 3年目 | 10.0億円 | 約1.56億円 | 約+612万円 |
| 4年目 | 10.0億円 | 約1.59億円 | 約+936万円 |
| 5年目 | 10.0億円 | 約1.62億円 | 約+1,274万円 |
| 6年目 | 10.0億円 | 約1.66億円 | 約+1,560万円 |
注目したいのは、誰も間違ったことをしていないのに利益が削られていく点です。社長は約束を守り、社員は普通に働いている。それでも売上が伸びなければ、増えた人件費はそのまま営業利益から差し引かれます。これが「固定費爆発」と呼ばれる現象の正体で、急に起きるのではなく数年かけて静かに進行するのが厄介なところです。
固定費爆発を防ぐ考え方はシンプルです。昇給や賞与の「原資(配れる総額)」を、毎年の業績に連動させる。業績が良ければ原資が増え、悪化すれば自動的に縮む。この“安全弁”を制度にあらかじめ組み込んでおきます。
ポイントは、個人の評価より前に「会社として配れる総額」を業績で先に決めることです。順番を逆にすると、評価で約束した昇給の合計が会社の体力を超えてしまい、固定費が膨張します。先に原資を業績で枠付けし、その枠の中で評価に応じて配分する。これだけで、人件費が会社の業績から大きく乖離しにくくなります。
安全弁を効かせる最初の一手として取り組みやすいのが、賞与原資の業績連動です。固定費化しやすい基本給より、賞与は本来「業績の分配」という性格を持つため、調整弁として設計しやすい部分です。
考え方は、営業利益などの成果に応じて賞与原資の総額を先に決め、その枠を評価で配分するというものです。黒字でしっかり利益が出た年は手厚く、利益が薄い年は控えめに、赤字の年は抑制する。あらかじめ「どの指標が、どの水準なら、原資はどうなるか」を社員に説明できる形にしておくと、納得感が高まり、好業績の年に報いる原資も確保しやすくなります。
| 営業利益の状況(モデル) | 賞与原資の考え方 | ねらい |
|---|---|---|
| 計画を上回る好業績 | 原資を上乗せ | 成果に報い、定着とモチベーションを高める |
| 計画どおり | 標準の原資 | 安定した分配で見通しを持たせる |
| 計画を下回る | 原資を縮小 | 固定費の膨張を抑え、利益を守る |
| 赤字 | 原資を大きく抑制 | 会社の存続を優先(最低保障の有無は要設計) |
大切なのは、業績連動を「人を数字だけで見る」仕組みにしないことです。ミライズでは、売上・利益などの成果KPIだけでなく、後輩育成・改善提案・技能習得といった成長KPIの両軸で評価を設計します。短期の数字が出にくい部署や、育成期の若手が一方的に不利にならないよう配慮します。社員別の採算(ROI)を見る場合も、それは人を責める資料ではなく、上司の支援・配置・目標設定を考えるための素材であり、降給や解雇の単独の根拠にはしません。
「業績が悪いから来年から基本給を下げる」「賞与の制度を一方的に変える」といった対応には、労働法上の注意が必要です。やり方を誤るとトラブルや無効リスクにつながります。
すでに支給している賃金や、就業規則・賃金規程で定めた労働条件を労働者に不利な方向へ変更すること(基本給の引下げ、賞与算定方法の変更など)は、不利益変更として扱われ、原則として労働者の同意や、変更の合理性・周知などが問題になります。安全弁を設計するときも、すでにある権利をいきなり削るのか、これから先の昇給・賞与の決め方をルール化するのかで、必要な手続きや配慮は大きく変わります。
業績連動の安全弁を入れる目的は、昇給を抑え込むことではありません。むしろ逆で、業績が良いときには自信を持って報い、悪いときには無理なく縮められる状態をつくることです。
昇給に踏み切れない社長の多くは、「一度上げたら下げられない」「これ以上固定費が増えると怖い」という不安を抱えています。原資を業績に連動させておけば、好業績の年は前向きに分配でき、悪化した年は自動的に原資が縮むため、人件費が会社の体力から大きく離れにくくなります。結果として、昇給という前向きな投資を、過度な固定費リスクを抱えずに実行しやすくなるのです。
もちろん、制度を入れれば会社が「絶対に潰れない」「必ず利益が残る」というものではありません。市況や個別の事情で結果は変わります。それでも、人件費を業績から切り離さずに設計しておくことは、固定費爆発という見えにくいリスクへの有効な備えになります。人件費を“コスト”ではなく“投資”として回収する全体像は、人件費は“コスト”ではなく“投資”もあわせてご覧ください。
業績連動の昇給・賞与原資について、経営者の方からよくいただくご質問にお答えします。
A. 設計次第です。原資を業績で枠付けしつつ、その中での配分は成果KPIと成長KPIの両軸で評価するため、「良い年はしっかり報われる」「育成や改善も評価される」と感じてもらえる形を目指します。基準を事前に説明できるようにしておくことで、納得感はむしろ高まりやすくなります。短期の数字が出にくい部署への配慮も含めて設計します。
A. 原資を大きく抑制する設計は可能ですが、就業規則や賃金規程の定め方、これまでの支給実態によって取り扱いが変わります。一方的な変更は不利益変更の問題になりうるため、最低保障の有無や移行のしかたを含め、事前のルール化と専門家への相談をおすすめします。個別の状況により判断は異なります。
A. 最初の一歩は、自社の人件費が業績に対してどの水準にあるかを数字で把握することです。「社長のための人件費成績表(198,000円)」で人件費率・労働分配率・離職コストなどを可視化すると、昇給・賞与の判断材料が揃います。そのうえで、無理のない業績連動の入れ方を検討していきます。賃上げの妥当性の見方はその賃上げ、利益に合っていますかもご参照ください。