経営者の年金と在職老齢年金|役員報酬と支給停止の関係を解説
“役員報酬は低めに抑えて、会社にお金を残したい。
“社会保険料を減らして、手取りを増やしたい。
――中小企業の経営者から、こうした声をよく伺います。その判断は、目の前の資金繰りを考えれば、とても合理的に見えます。けれども、その選択が将来のご自身の年金額にどう影響するかまで意識できている方は、意外と多くありません。
年金は「制度の説明」として聞くと退屈に感じますが、経営者にとっては人生全体の損得計算そのものです。この記事では、公的年金の基本的な仕組みから、役員報酬と年金額の関係、さらに「働きながら年金を受け取る」ときの在職老齢年金まで、できるだけやさしく整理します。
- ✓年金は「最後の給料」ではなく現役時代の報酬履歴の平均と加入期間で決まる。報酬を低く抑える選択は、将来の年金を下げる選択でもある。
- ✓働きながら受け取る在職老齢年金は、令和8年度(2026年度)から基準額が65万円に引き上げ。超えた分の「半分」だけが調整され、止まるのは2階部分のみ。
- ✓報酬設計は今の資金繰り・将来の年金・受け取り方・万が一のリスクの4つをつなげて考える。判断には年金見込額の確認が先決。
公的年金は「2階建て」でできている
日本の公的年金は、よく「2階建て」と表現されます。土台となる1階部分と、その上に積み上がる2階部分があります。
つまり、土台は誰でも同じですが、上乗せ部分は「働き方」と「報酬設計」によって差がついていく、というのが基本的な構造です。
図:公的年金の「2階建て」構造
令和8年度(2026年度)の老齢基礎年金の満額は、月額70,608円、年額847,296円です(昭和31年4月2日以後生まれの場合)。この土台が、未納や未加入の期間があると目減りし、老後の最低ラインが下がってしまいます。
厚生年金は「最後の給料」ではなく「報酬履歴の平均」で決まる
2階部分の老齢厚生年金は、ごく単純化すると次のような考え方で計算されます。
ここで大切なのは、「平均標準報酬額」という言葉です。これは退職前の最後の給料ではなく、現役時代を通じた報酬履歴の平均を指します。若い頃に報酬を低く抑えていた期間は、そのまま平均を押し下げ、後から簡単には取り返せません。
「報酬が高いほど増える」「加入期間が長いほど増える」――この2つが両輪です。報酬の額面だけを見て「いくら年金がもらえるか」を語ることはできず、何年その水準で加入したかまで含めて考える必要があります。
図:年金は「最後の給料」ではなく「現役時代の報酬履歴の平均」で決まる
年金は「最後の給料」で決まるのではなく、現役時代の報酬履歴の平均で決まる。だからこそ、報酬設計は早いほど効く。
報酬水準でこれだけ変わる ― 40年間の比較
イメージをつかんでいただくために、40年間ずっと同じ役員報酬を受け取った場合の年金額を比較してみます(令和8年度の基礎年金額をもとにした試算です)。
| 役員報酬(月額) | 老齢基礎年金(年額) | 老齢厚生年金(年額) | 合計(年額) | 合計(月額) |
|---|---|---|---|---|
| 5万円 | 847,296円 | 131,544円 | 978,840円 | 約81,570円 |
| 30万円 | 847,296円 | 789,264円 | 1,636,560円 | 約136,380円 |
| 50万円 | 847,296円 | 1,315,440円 | 2,162,736円 | 約180,228円 |
月5万円と月30万円では、受け取れる年金が月あたり約5.4万円、年間で約65万円も違います。10年受け取れば650万円を超える差です。30万円と50万円の間でも、月あたり約4.4万円の開きがあります。ここまで来ると、もはや「年金額の差」というより「老後の生活水準そのものの差」と言ってよいでしょう。
「最後に上げれば取り返せる」は本当か
よくいただくのが、「若いうちは低報酬でいい。60歳を過ぎてから報酬を上げて年金を増やせばいい」というお考えです。気持ちはよく分かりますが、結論から言うと思ったほどは増えません。
たとえば35年間を月30万円で過ごし、60歳からの5年だけ報酬を大きく引き上げたとします。それでも年金の増額は月あたり1万円弱にとどまります。なぜなら、年金は40年分の履歴の平均で決まるからです。40年のうち5年だけ変えても、全体の平均は大きくは動かないのです(なお、厚生年金には報酬の上限があり、極端に高い報酬がそのまま年金に反映されるわけでもありません)。
さらに、報酬を上げれば、その分だけ厚生年金の保険料も増えます。増えた保険料を年金の増額分で回収しようとすると、計算上は十数年単位の年月が必要になるケースもあります。「年金を増やすための投資」として見ると、60歳以降の報酬引き上げは、利回りという観点では決して効率が良いとは言えません。
あわせて知っておきたいのが、役員報酬の改定にはタイミングの制約があるという実務上の事情です。役員報酬は原則として事業年度開始から一定期間内(おおむね3か月以内)に改定する必要があり、思い立ったときにいつでも自由に変えられるわけではありません。さらに、報酬を下げてもそれが年金額(在職老齢年金の支給停止の判定など)に反映されるまでには数か月のタイムラグが生じます。「変えたいと思ってもすぐには変えられない」からこそ、早めに見通しを立てておくことが重要になります。
ここから言えることはシンプルです。
加入期間を延ばして年金を増やす王道の打ち手
「報酬を上げて年金を増やす」効率が悪いのなら、もうひとつの両輪である「加入期間を延ばす」という王道の打ち手が見えてきます。報酬履歴の平均と加入期間――この2つが年金額を決めるのですから、平均を動かしにくいなら期間で稼ぐ、という発想です。
こうした打ち手はいずれも、本文で繰り返してきた「年金は報酬と加入期間の両輪」という主張を、具体的な行動で裏づけるものです。どれが有効かは加入歴によって変わるため、個別の判断が必要です。
受け取り方を選べる ― 繰上げ・繰下げ
年金は原則65歳から受け取りますが、開始時期は前後にずらせます。受け取りを早めるか遅らせるかで、年金額が一生変わります。
| 受け取り方 | 選べる年齢 | 1か月あたりの増減 | 増減幅の上限 | 適用期間 |
|---|---|---|---|---|
| 繰上げ受給(前倒し) | 60歳〜64歳 | 0.4%減額 | 最大24%減 | 一生続く |
| 原則の受給 | 65歳 | 増減なし | ― | ― |
| 繰下げ受給(後ろ倒し) | 66歳〜75歳 | 0.7%増額 | 最大84%増 | 一生続く |
老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々に繰下げることもできます。一度確定した増減率は変わらないため、健康状態や他の収入も含めて慎重に判断したいポイントです。
働きながら受け取るとどうなる ― 在職老齢年金
「いつから受け取るか」が繰上げ・繰下げの話なら、「働きながらどう受け取るか」が在職老齢年金の話です。60歳以降も厚生年金に加入して働きながら老齢厚生年金を受け取る場合、賃金と年金額の合計に応じて、老齢厚生年金の一部または全部が支給停止になることがあります。
ここで誤解しやすいのですが、止まる可能性があるのは2階の老齢厚生年金だけです。1階の老齢基礎年金は対象外で、止まりません。「働くと年金が全部止まる」というのは、よくある思い込みです。
支給停止額は次の式で計算されます。令和8年度(2026年度)の基準額は65万円です。
「総報酬月額相当額」には月給だけでなく、過去1年の賞与を12で割った額も含まれる点に注意してください。式がマイナスになれば支給停止はありません。ポイントは、基準を超えても全額が止まるのではなく、超えた分の半分だけが調整されるという点です。
図:在職老齢年金の調整の仕組み(令和8年度・基準額65万円)
老齢厚生年金が月18万円、賞与なしという前提で、給与水準ごとの実際の受給額を見てみましょう。
| 給与(月額) | 給与+年金 | 支給停止額 | 実際に受け取る年金 |
|---|---|---|---|
| 30万円 | 48万円 | 0円 | 18万円 |
| 47万円 | 65万円 | 0円 | 18万円 |
| 50万円 | 68万円 | 1.5万円 | 16.5万円 |
| 60万円 | 78万円 | 6.5万円 | 11.5万円 |
| 70万円 | 88万円 | 11.5万円 | 6.5万円 |
このケースでは、給与が47万円前後までは年金が全額受け取れ、それを超えると徐々に調整が入っていく形になります。
こうした賞与込みの総報酬の把握、標準報酬の届出、支給停止の判定といった日々の社会保険の実務を正確に回すことが、思わぬ取りこぼしを防ぎます。実務の負担が大きい場合は、社会保険手続き・給与計算のアウトソーシングを活用し、判定の前提となる数字を正しく押さえておくのも一つの選択です。
「働き損」を正しく理解する
65歳以降、給与を増やしても手取りが思ったほど増えない――いわゆる「働き損」が起きるのは、給与を上げると次の3つが同時に動くからです。
ただし、「働き損」は「働くな」という意味ではありません。給与単体ではなく、給与と年金を合わせた手取り総額で判断するという、設計の話です。報酬を少し調整するだけで、止まっていた年金が戻ってくるケースもあります。前述のとおり、65歳以降は在職定時改定によって働いて納めた保険料が毎年年金額に反映される側面もあり、「働くこと」自体が将来の年金を底上げする面もあります。感情ではなく、制度に合わせて全体を組み立てる視点が大切です。
「働き損」は給与単体で見るから起きる錯覚。給与と年金を合わせた手取り総額で見れば、最適点はおのずと見えてくる。
実務で気をつけたい点
私的年金で「上乗せ」を備える
ここまで見てきたとおり、公的年金は「報酬を上げて増やす」効率が必ずしも良くありません。だからこそ、公的年金の上乗せとして私的年金で老後資金を準備するという発想が有効になります。公的年金を増やす効率が悪いなら、上乗せ制度で備える――これが次の一手です。
これらは公的年金だけでは届かない部分を補う「上乗せ」の手段です。なかでも確定拠出年金は、経営者の上乗せ年金として活用しやすい制度です。仕組みの基本は確定拠出年金(DC)の基本の記事で詳しく解説していますので、あわせてご覧ください。
見落とされがちな「障害年金・遺族年金」という視点
ここまで老後の話を中心にしてきましたが、年金には現役中の「万が一」に備えるもう一つの顔があります。それが障害年金です。病気やけがで生活や仕事に支障が出たときの保障で、こちらも基礎年金(1階)と厚生年金(2階)の2階建てになっています。
注意したいのは、社会保険に加入していなければ、2階部分の障害厚生年金は受け取れないという点です。これが未加入リスクの本質です。たとえば平均標準報酬額30万円・加入10年の方が障害2級に該当した場合の保障を、加入の有無で比べてみましょう。
| 加入状況 | 1階:障害基礎年金 | 2階:障害厚生年金 | 受け取れる保障 |
|---|---|---|---|
| 社会保険に加入 | 受け取れる | 受け取れる | 合わせて年130万円規模 |
| 未加入 | 受け取れる | 受け取れない | 上乗せ部分を失う |
未加入の場合、上乗せ部分を失うことになり、長い目で見れば、その差は1,000万円規模になることもあります。
そして、社会保険加入の有無で2階部分が変わるのは障害年金だけではありません。遺族厚生年金――万が一のときに残された家族に支給される保障も、厚生年金に加入していたかどうかで2階部分の有無が分かれます。報酬を低く抑える、あるいは未加入で済ませるという選択は、老後の年金だけでなく、こうした「現役中の万が一」や「家族への保障」まで含めた隠れたコストを伴います。リスクは多面的に捉えておく必要があります。
また、障害年金では初診日(その傷病で初めて医師の診療を受けた日)が極めて重要です。この日にどの制度に加入していたかで受給の可否が決まり、保険料の納付要件も初診日の前日時点で判定されます。後から保険料を払っても間に合わないことがあるため、加入漏れがないかを平時から確認しておくことが、何よりの備えになります。
まとめ ― 4つの視点をつなげて考える
経営者の報酬設計を考えるときは、次の4つをバラバラにではなく、ひとつながりで捉えることが大切です。
図:報酬設計でつなげて考えたい4つの視点
年金は「制度」というより「履歴」です。在職老齢年金は「受け取り方の設計」、障害年金・遺族年金は「現役時代の備え」。今の資金繰り・将来の年金額・受け取り方・万が一のリスク――この4つをつなげて初めて、ご自身にとって本当に納得できる報酬設計が見えてきます。報酬をいくらに設定するかは、節税の損得だけでなく、老後と万が一までを見据えた中長期の選択なのです。
「自社の場合はどう考えればいいのか」「役員報酬の水準を見直したい」とお感じになったら、ぜひ一度ご相談ください。当法人では、役員報酬の水準・年金見込み・社会保険料・手取り総額をひとつながりで設計する経営・賃金コンサルティングを通じて、現状の報酬設計と年金見込みを踏まえ、無理のない適正な選択をご一緒に整理いたします。
経営者の年金は、最後の給料ではなく現役時代の報酬履歴の平均と加入期間で決まります。報酬を低く抑える選択は将来の年金を下げる選択でもあり、後から数年だけ上げても取り返しにくい。令和8年度(2026年度)から在職老齢年金の基準額は65万円に引き上げられ、働きながら受け取る環境は見直しの好機を迎えています。
今の資金繰り・将来の年金・受け取り方・万が一のリスク――この4つをつなげ、必要なら私的年金の上乗せや加入期間を延ばす打ち手も組み合わせる。判断の出発点は、まず年金見込額を確認することです。
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